【安心】で居れなくなった時、【心配】が起こります。
これが、自分自身のことだと、対処方法は簡単です。
【心配】の物理的原因に向き合って、
ひとつひとつつぶしていくだけです。
そして、未知に挑戦している状態であれば、
自分の中にある未知に対しての不安が【心配】を
起こしているだけと理解できるので、
【心配】になる弱気な心をありのまま受け止めて、
静観することができます。
これだけで十分癒されます。
しかし、これが愛する人への【心配】になると、
話は少し複雑になります。
愛する人が
辛い思いをしているのでは、
無理をしているのでは、
幸せでないのでは、
我慢しているのではと、
とにかく【心配】で仕方がなくなる。
【心配】に感じるのは、愛しているのだから
【心配】は、当たり前のことで、
【心配】しないのは、逆に愛のない行為だとまで思えてきます。
愛する人が自由意志でしていることなのだから、
【心配】する必要などないのですが、
何か自分にしてあげられることはないか、
何か自分に言ってあげられることはないか、
心が痛んで仕方なくなるのです。
このような【心配】を【安心】に変えるのは
どうすればいいのでしょうか?
大抵の人は、自分の身に起きた【心配】と同じ
対処をしようとします。
【心配】の物理的原因を探ろうとするのです。
相手が自分の【心配】を【安心】にさせるまで、
根掘り葉掘り質問します。
「本当にそれであなたは幸せなのか?」
「それは本当にしたいことなのか?」
「なぜそんなに心配にさせるのか?」
自分の価値観で相手を理解できるようにと、
相手に説明責任を求め、【安心】できるまで、
コミュニケーションをはかろうとします。
もしくは、自分だったらこうするという考えを押し付けます。
自分が幸せになるために選ぶ道を、選ぶように促します。
しかし、【心配】は、払拭されません。
目の前にある【心配】は、
相手に映し出している自分の【心配】だからです。
まるで、相手が作り出した【心配】に見えますが、
実は自分の観念では理解できない相手を
ジャッジしているところから始まっている【心配】です。
相手が抱えている【心配】とは別の自分の【心配】まで、
相手のもののように捉えて、相手ありきでないと解消しない
相手原因の【心配】と捉えてしまいます。
実は弱っている相手にひどい追い討ちをしていることになります。
相手がほしいのは、【信頼】です。
何を相手が選ぼうとも、自由意志で真剣に向き合えば、
必ず最終的には大丈夫だという【信頼】を示してほしいのです。
相手自身の中の【心配】と向き合える勇気が持てるように、
何を選んでも、それが相手の自由意志なら、
全力で応援する準備をします。
準備をするとは、徹底的に感じている【心配】を
自責思考で向き合うことになります。
相手の所為で【心配】がおきてるのではなく、
自分の【心配】が炙り出されてるだけだと
知ることになります。
癒しが必要かもしれません。
受容が必要かもしれません。
自分の中にあるジャッジに気づくかもしれません。
【心配】の心理的原因に向き合って、
ひとつひとつつぶしていくだけです。
愛する人が傷つくかもしれない可能性に、
胸が張り裂けそうな気持ちも、
相手から自由を奪う、自分の執着であると
知ることになります。
自分の中の【心配】を全て解消してしまうと、
完全に【安心】に戻ります。
何がどうなっても【安心】であるとわかり、
大丈夫だと心底思えます。
その時に、そんなフリをするのでなく、
こころからの【安心】にまで
ゆっくり向き合って進んでください。
そうなった状態で初めて、相手の中の【心配】に対して、
してあげられることがあります。
まるごとの相手を愛することです。
【心配】【不安】などの数々のネガティブを抱えて
手放すことのできない状態にいる相手を、
まるごとそのまま愛することです。
思う存分、好きな期間だけ、
不安で居ても、不幸でいても、いいよって
どんな状態でも、あいしていることには変わりないよって
無条件の愛をあげてください。
その環境が、相手に【心配】に向き合う勇気を与えます。
愛する人や大切な人に対して
【心配】が生まれた時、
まず、それが自分の【心配】でしかないと
受け入れてください。
そして、すっかり【安心】に戻ってから
相手を【信頼】と【愛】で応援してあげてください。
また、逆のことも起こります。
自分が何かに向かって進む時、【心配】が起きます。
それを応援してほしくて、周りの人に相談すると、
自分を愛してる人たちの【心配】を煽ってしまい、
自分の【心配】が増幅する結果になる時があります。
たくさんの意見をもらい、たくさんの人に【心配】され、
余計に混乱ばかりが生じて、思考は複雑になるばかりです。
すべて愛されてるからこそ起こっていることなので、
何が何だかわからないちょっとしたパニックを呼びます。
たくさんの人の【不安】と【心配】が集結して
渋滞を起こしています。
でも、取り組むべきは、自分の【心配】だけです。
静かに、静かに、自分の内と向き合って、静観します。
全貌が見えたら、【安心】に戻ります。
慌てずゆっくり時間をかけて、戻りましょう。
すっかり【安心】【安全】に戻ったあなたは、
【心配】の癒し方を完全に習得しています。
そして、なんの助言もすることなく、
ただ、あり方で、その方法を示すリーダーシップが取れます。
【心配】は集合体で起こりやすい、漠然とした感情です。
なので、どこまでが自分の【心配】なのか線引きが難しいです。
なので、目安は、
すっかり、すっきり【安心】を感じられるまで、
すべて自分の【心配】ととらえ、うちに向かうしかありません。
【虐待】が愛、
【執着】が愛、
【心配】が愛、
ざまざまなネガティブを愛と思い込む思考が、
知らない間に自分の中に根付いていることがあります。
そうなると、その誤解を解かないと、
ネガティブをただ手放すだけなのに、
愛を手放すことに思えて、苦しみを生みます。
まず、誤解を解きましょう。
そうすれば、【心配】が不要と、
腹落ちして理解でき、
癒しが進みます。
【心配】の癒し方でした。
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