一番最初に幸せになる勇気

パートナーシップ

例えば、99人のまだ自分を幸せとは思えない人を集めます。
そこにあなたが足されて、100人の集まりになります。
そして、問われます。
「この中で、自分だけでも一番最初に幸せになりたい人、手をあげてください。」
この状況下で、挙手できますか?
周りの99人誰も手をあげません。挙手できますか?

これに
「はい。喜んで私からなります!」
と手を挙げれたら正常です。と聞いたらどう感じますか。

「そんな図々しいこと、言えない。」と思う人がいるかもしれません。
「妬まれそうで怖い」と感じる人がいるかもしれません。
「最低50人くらいが幸せになった後で私はいいの」という人もいるでしょう。
「私は、みんなの幸せを見届けてから最後に幸せになりたい。みんな幸せでないと意味がない。」
という人もいるでしょう。
その他にもいろんな思いや考えがあり、
「はい。私が今すぐ一番に幸せになります!」と
挙手できない理由を作っていると思います。

これらは、思い込みが作り出す、錯覚の中で生きているから起こります。
「私は、愛する〇〇より先に幸せになってはいけない。」
愛する者の幸せという前提なしには、
自分の幸せは存在できないという錯覚です。
それこそが愛する者への愛だと錯覚しています。
「私だけ先に幸せになったら、
 妬まれる、恨まれる、嫉妬される、
 マイナスのエネルギーをぶつけられる。
 そして結局幸せになれない。」
他者からの幸せになる許可をもらったり、祝福されなければ、
幸せになれないと錯覚してる人もいます。
幸せになるのに順番待ちがあって、
自分より先に幸せになるべき人が存在すると錯覚してる人もいます。

実は、順番などないです。
そして、「幸せになる」と決めた瞬間に、
未来も幸せで、過去も全て幸せだったと知ることになるのです。

幸せな時と、幸せでない時の経験を持っているのであれば、
それはコントラストを使った幸せで、幻想の幸せです。
本当の幸せでない、幸せのようなものを一瞬見ていることになります。
幸せでない不幸のようなものを見ている状態と何ら変わりありません。
どちらも幻想の中にいます。

愛に条件がないように、幸せにも条件がないのです。
事実は、幸せがずっと続いています。
でも、ある時、幻想の中に、幸せのようなものを見ます。
そして幻想の中に不幸のようなものを見ます。

また、幸せでいても、自分の大切な人が、
幻想の中にいることが起こります。
相手だけが幻想を見ているのはよくわかります。
大切な人ならば、その幻想から救い出し、
幸せに戻ってほしいと思うでしょう。
私もそうでした。
私の場合は、母でした。

彼女を助けたい一心で、私は彼女の幻想の中に飛び込みました。
彼女が幻想の中で「〇〇になれば、幸せになる。✖️✖️だから辛い」という
内容の言葉に対して、〇〇を引き寄せ、✖️✖️を消し去りました。
それでも、一瞬幻想の中で幸せのようにはなってくれますが、
一向に幻想から抜け出そうとはしません。
「もっと〇〇がなければ不安だ。また✖️✖️がきたらどうしよう」
際限のない、今ある幸福のようなものが消えることを妄想する不幸、
それにいつも苦しんでいました。
そこから救ってあげるには、
幻想から目覚めさせるしかないとまではわかってました。
でも、幻想だと何度説明しても彼女は目覚めようとしないのです。
そんな恐怖存在しないし、何がきても如何様にも変容させられる、
どうして目覚めてくれないのか。
私は理解に苦しみました。

私は幸せを選択したいけど、彼女はこういうスタンスで幻想を選択しているのか。
私の指す【幸せ】と彼女の指す【幸せ(幻想の中の)】が
発音した時、同じ音なのでずっと平行線なら、もう同次元を生きられないではないか。
なぜ、そんなに苦しみながらも、こんなに抜け出すための強い協力者が、
わざわざ幻想の中にまで飛び込んで救い出そうとしてるのに、抜け出そうとしないのか。

躍起になっている間に、私も、幸せでいることより、
幻想の中で過ごすことがおおくなりました。
そして、彼女の幻想の中にいる間に、
私も、大きな自分の作り出した幻想に飲み込まれてました。

「彼女を幸せにしないと、私の幸せはない。」
「彼女より先に幸せになってはいけない。」
この幻想の中に閉じ込められたのです。

幻想を見ている者が、また別の幻想を見ている者を目覚めさせようとしている状態です。
これは、寝ている人が、隣で寝ている人を、自分の夢の中で起こそうとして、
隣で寝ている人が起きないのを嘆いているようなカオスな状態です。
ただただ、幸せの中、2人して別の夢をみて居眠りこいてるだけなのに、
夢の中ではこの世の終わりくらい悲劇が繰り広げられるのです。

私は、さんざんもがいて、目覚め、幸せに戻りました。
厳密にいうと、ちゃんと目覚めている人が
寝苦しそうに悪夢にうなされてる私を起こしてくれました。
もっと厳密にいうと、
起きている人が、ただ眠っている私を見ているのを、
寝ている状態の私が感じるのです。
そして、まさか、これは、幻覚なのでは、と
我にかえるのです。
目覚めると、ずっと幸せの中、
とても妙な長い夢を見てたと気づきました。

そして理解しました。
起きてる人しか、寝てる人は起こせないというシンプルな事実。

幸せでない幻想を見ている人を、幸せに導く、唯一の方法は、
不動で幸せにい続けることだけでした。

血迷っても、幻想の中に飛び込むなんてこと、してはいけなかったのです。
相手の幻想の中に入るとは、相手の幻想にリアリティを与える作業です。
起こしたい人の横で、昼寝をおっぱじめてどうするんだって話です。
自分は幻想を幻想と認知したまま、幻想に入っていけると過信してました。

相手の幻覚に共感し同調すると、飲み込まれます。

シンプルな事実です。
幸せは、不変の状態です。それ以外を見たら、幻想です。
好みの幻想でなかったら、違う幻想に書き換えるか、幸せに戻るかできます。
幸せな幻想もあります。見て楽しむことができます。でもいつか消えます。
それを嘆く必要ないです。見て楽しんだことに満足でいいのです。

幻想の中で、幸せみたいなものと、不幸みたいなものを
行ったりきたりする人生も素晴らしいものです。

それに飽きて、幸せに戻るタイミングなんていつでもいいのです。

また幸せの元、幻想の幸せみたいなものと、不幸みたいなものを
エンタメとして楽しむのもありです。

自分以外の人が幸せに目覚めるタイミングなんて、
【どうでもいい】、【いつでもいい】、なんです。

感染対策での、マスクの着用を
個人の判断に委ねられた時と同じです。
自分以外の人のマスクを外すタイミングなんて、
【どうでもいい】、【いつでもいい】、なんです。
各々の好きなタイミングでいいのです。

冒頭の話に戻ります。

99人の幸せでない幻想を見ている人たちを
幸せに目覚めてもらうため、
できることがあるとすれば、
一番最初にあなたが幸せを選び、
ただ幸せでいることです。

一番最初に幸せになる勇気は、
あなたのための勇気だけでなく、
みんなのためになる勇気です。

【妬まれたらどうしよう】
【恨まれたらどうしよう】

大丈夫です。

妬めるのも、恨めるのも、
幻想の中だけです。
癒しきって目覚めたら、
あなたに感謝します。

あなただけでも、
一番最初に幸せになる勇気を持ってください。

コメント