人が人に惹かれる時、
大きく分けて
二つの側面に惹かれるかと思います。
一つは、ダイアモンドみたいな側面です。
キラキラしててとても素敵です。
もっと磨いたら、もっと輝くので、
その人がピカピカに輝いてる未来を見たくなります。
もう一つは、空気みたいな側面です。
その人の空気に包まれると安心します。
息が苦しい時ほど、すごく救われます。
酸素が行き届いた状態が保たれるので、
受け取り手のパフォーマンスが上がります。
多分、全ての人に、この2側面があるのかと思います。
そして、空気を惜しみなく与えられると、
自分のダイアモンドが輝き出します。
ダイアモンドには試練を与え、
研磨が必要だと思っていましたが、
空気が必要だということは見過ごされがちです。
人生において、研磨を与えてくれる人は、
立ち替わり、入れ替わりでやってきます。
そして、こちらが磨かれ終わったら、
卒業という形で関係が終了することもあります。
人生の恩人という形で一生感謝する対象になります。
研磨してくるので、最初大嫌いということも往々にしてあります。
でも、こちらが輝き出す頃には、感謝に変わります。
研磨を渇望する性質なので、
そういった人をたくさん引き寄せ出会ってきました。
ただ、研磨してこない、空気みたいな人は
見落としがちです。
実は、私の父もこの空気のような人で、
私に何も期待しないタイプの人でした。
私は期待されて輝くタイプだと自分を信じていたので、
父の期待をしてくれないところに、がっかりしたり
物足りなく感じた10代を過ごしました。
ただ、この空気みたいな存在、失って初めて
存在の重要性に気づくのです。
どれだけ空気に守られ、どれだけ空気に癒されていたか。
空気なしでは、私なんてなんの機能も果たさない
すっからかんのポンコツでしかない。
そう思い知らされるのです。
美味しい空気に包まれて、すくすく育ち、
無邪気に天真爛漫に無敵の健全な生活をさせてもらっていた。
どんな辛い状況も、この空気が私に安全と自信を与えていた。
そのことを、失うまで気づかない。
良質な空気ほど、空気以上に存在感のない空気です。
ただ、喪失の経験があるから、
次、空気をくれる人に出会った時、
空気が体中に染み渡るのを感じれました。
きっと、喪失経験なしには、見過ごしてしまう出会いでした。
誰かのダイアモンドの部分を見つけると
心躍ります。もっともっと磨いて輝いてほしいと思います。
そのダイアモンドが最高の輝きを放つ状態の未来を見せてほしいと、
心から願ってしまいます。
でも、その前にその人が自分にとても素敵な空気をくれていたことを
忘れたくないです。
その人のダイアモンドが今世で原石のまま終わっても、
その人がかけがえのない空気で自分を包んでくれていることに感謝です。
それは、自分にも言えることで、
自分の中のダイアモンドの原石が原石のまま、
なんの輝きをみせなくても、生きて、吸った空気を吐いてるだけで、
誰かのためになってます。
空気とダイアモンド、どっちがほしいかと聞かれたら、
ダイアモンドと即答しますが、
どちらがなくなったら困るかと聞かれたら、
空気と即答します。
ダイアモンド、どうでもいい。
つまり最重要の空気が満ち足りた状態を確立した上で、
ピカピカのダイアモンドが欲しいというのが我々の願いで、
空気なしでのダイアモンドは無価値です。
最重要なことは、当たり前過ぎて、気づきにくいです。
最重要なことは、たいてい大盤振る舞いで、
際限なく与え尽くされています。
希少性が高いことは、重要度が低くても
すぐに執着を生み出します。
自分のダイアモンド磨きに必死になり過ぎて、
息苦しさを感じたら、研磨の手を止めて、深呼吸です。
酸欠起こしながら、ダイアモンド磨きはナンセンスです。
大好きな人や、大切な人のダイアモンドに一向に磨きがかからない時、
もったいないと思う気持ち、輝いてるところを見たいと思う気持ち、
すごくわかりますが、躍起にならないでください。
あなたからは、良質な空気を必要としています。
あなたの安心安全な美味しい空気を存分にあげてください。
コーチングにおける大鉄則は、
安心安全な空気の行き届いた場の提供から始まります。
当たり前のことに感謝することが腹落ちすると、
奇跡的なことが誤差に過ぎず、どちらでもいいと心底思えます。
そして執着知らずの手放しが起こります。
そして逆説的に全て叶います。
空気とダイアモンド

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